愛による全面受容と心の癒しへの道(48)

峯野龍弘牧師

第4章 心病む子供たちの心の傷付くプロセスと諸症状

さて、以上においてウルトラ良い子たちの抑圧の最大要因について詳細に亘り解説してきたが、ここではその具体的な心傷ついて行くプロセスとその諸症状について述べてみたい。

I. 世俗の価値観に支配されている両親や同居の親族からの非受容と抑圧

先ず何と言っても、ウルトラ良い子たちが心傷つき病んで行く第一のプロセスは、悲しいかな、皮肉なことに誰よりも最も我が子を愛している両親、そして同居の親族たちから始まる。この場合、既に繰り返し学んできて御存じのように、両親や親族と言っても、それはすべての両親、親族を意味しない。特に世俗的価値観に強く支配されている、言わば“世俗的価値観信奉者”とも呼ぶべき両親や親族によってである。

彼らは自らがいつしか世俗の価値観に支配され、その奴隷になってしまっている自分自身に気付いていない。彼らはむしろ世俗の価値観に従って自らを自己評価し、それが他者よりも優っていると思える時、彼らはそれを自負し、ひそかに誇りにさえ思っている。

そのような両親や親族の深層心理には、常に世俗の価値観への「媚び」と「怯え」が支配している。それ故このような人々が子育てにあたる場合、常に世俗的評価を気にし、他の子供たちと我が子を比較し、より世俗的評価の高い道に従って子育てにあたる。

彼らにとって愛する我が子や孫が世俗的評価の低いものとなることは耐え難く、それは我が身の恥であり、我が子、我が孫の不幸であると考える。それ故その子供の感性・資質・性質、つまり本性(天性)がどうであれ、それを無視し、見過ごして闇雲に世俗的価値観に従って、子供を躾け、教育しようとする。

その結果、その子の固有の感性や資質、性質や本性が受容されず、その子の心が訴えている声なき叫びや本性から発する個性的要請は無視されて、いつしかその否定・抹殺の上にその子の人格形成がなされていく。それもいわゆる世で言う「良い子育て」、「躾」という美名のもとで成され、かくしてウルトラ良い子たちは早くもかかる両親たちにより抑圧されていく結果となるのである。

ちなみにこの連載のかなり始めのころに既に前述したので、今更繰り返し記すのはまさに蛇足となると思うが、あえてもう一度記せば、ウルトラ良い子の超鋭敏にして純粋な感性は、通常の平均的子供たちに優って抑圧を受け易い。しかも彼らは合わせて本来心優しく、他者貢献的な感性の持ち主であるため、両親たちの意思や願いに背く事は悪いことであると考えて、どこまでも自分の思いを表明しないで、あたかも自分が両親たちの思いに心から同意しているかに思われる対応をしてしまうため、遂には自分の本意に沿わない人間形成を加速させてしまい、その結果その心は充足も安息もなく、不満足と不安を抱え込み、徐々に抑圧が重なり、物事に新鮮な感動や喜びを感じ難くなり、何事にも無気力、無感動となり、更に徐々に対人間関係が子供ながらにも煩わしくなり、引きこもりがちになってしまう。

しかもこうした状況が長く続くようなら、更には精神的にも肉体的にも異常心理、異常行動を惹き起すようになってしまう。これらはいずれも明らかにかかる抑圧の結果、そこにもたらされる心傷つき病んでしまっていく子供たちの哀れな諸症状に他ならないのである。

そこで復習ながら、ウルトラ良い子たちが合わせ持っている八つの特質についてもう一度参考までに列挙しておこう。

  1. 純粋志向性 夢見る人、理想主義者、メルヘン志向、空想家
  2. 本質志向性 「なぜ」を問う、生まれながらの哲学者、思索家
  3. 霊的志向性 霊的感性が強い、可視的でない世界への探究心が旺盛、永遠、死後の世界、霊の存在への関心、生まれながらの宗教家
  4. 絶対価値志向性 相対的に他者と比較する価値観に馴染まない
  5. 独創的志向性 閃きとのめり込み、科学者、文学者、芸術家
  6. 非打算的献身志向性 損得勘定に馴染まない、他者奉仕的人間、使命感が強い
  7. 他者受容志向性 温順な他者配慮、弱者保護の心に富む、隣人愛
  8. 生命畏敬志向性 自然や動物愛護

(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。