愛による全面受容と心の癒しへの道(50)

峯野龍弘牧師

第4章 心病む子供たちの心の傷付くプロセスと諸症状

I. 世俗の価値観に支配されている両親や同居の親族からの非受容と抑圧

A. 非受容、抑圧を与えてしまう理由は何か
(2)真の愛の本質に対する無理解

子供の心を傷付ける原因が、非受容と抑圧にあると記しました。更にはその非受容や抑圧が親が我が子を愛していると思っている自負心にあるとも申しました。では更にもう一歩踏み込んで問えば、何故そのように愛していると思う自負心を抱くようになってしまうのでしょうか。その原因は、実に真の「愛の本質」について正しい理解を有していなかったからでした。

ちなみにお互い人間は、「愛」と言う言葉を用いて自らと相手との間の特別に親しいホットな人間関係を言い表しますが、この場合実はお互いが抱いている「愛の概念」や「愛の性質」には、各人の間でかなりの開きや相違が存在するのです。それゆえ「愛のすれ違い」が起こるのです。

ある人の求めている愛は、かなり情緒的感情的愛であり、またある人の愛はそれに比してかなり理性的哲学的愛であったりいたします。中には甚だしく肉欲的な愛であったり、その反対に実に美しい献身的愛であったりするのです。のみならず人の抱く「愛の概念」、「愛の性質」は、その人の内に持つ人生観、世界観、価値観、更には知識や人生体験そして性格などの総和の上に生み出される所産であるので、その所産は厳密に言えばそれこそ各人各様であって、人の数ほどあって千差万別です。

それでは「真実な愛」つまり「愛の本質」とは何でしょうか。

■「真実な愛」と「愛の本質」

ここで世界の最高のベストセラーの位置を確保し続けている「聖書」に出て来る言葉を引用させて頂きましょう。その言葉とは次の言葉です。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハネ13章34、35節)

ここで極めて重要な言葉は、「わたしがあなたがたを愛したように」という言葉です。これはキリストが弟子たちを愛された愛を基準として、弟子たち相互も愛し合うようにという主の戒めです。これはキリストの愛の性質(本質)並びに愛の方法(愛し方)の基準を規定したものと理解することができます。

ちなみにこの聖書の書かれた当時の古典ギリシャ語には、いわゆる愛を表現する用語として四つの言葉が存在しました。もしもお互いが真実な愛の何たるかを知ったならば、それまでの世俗の親の愛はすべて「偽りの愛」に過ぎず、せめて一歩譲歩したとしても「もどきの愛」(愛もどき)、「つもりの愛」(愛したつもり)に過ぎない。これでは真の良い子は育たない。

そこで次には「真実な愛の本質」について学んでみよう。(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。