愛による全面受容と心の癒しへの道(81)

峯野龍弘牧師

第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道

Ⅵ. アガペーによる全面受容とその軌跡(自立への7ステップ・法則)(前回に続く)

■アガペーによる全面受容の軌跡と癒しへの7ステップ(法則)
<第2ステップ> 充足感の到来

さて、第2のステップは“充足感の到来”です。徹底した“アガペーの全面受容”を与え続けると、そこには必ず“充足感”が与えられます。この充足感が与えるということは、彼らの癒しにとって極めて大切なプロセスです。彼らが傷つき病んでしまっているということは、そこには何一つ“充足感”を感じられなくなってしまっているということをも意味しているのです。哀れな彼らは長い間の極度の抑圧のゆえに、何をしてみても、またその反対に何もしなくても満足はなく、また何を見ても見なくても、更には何を手に入れても入れなくても心満ち足りず、満足感・充足感を得ることが出来ないのです。彼らは常に空虚で無気力に陥てしまっているのです。この得体のしれない空虚感と無気力感のゆえに、彼らはしばしば大きな不安や恐怖、更には強い焦りや苛立ちを覚え、それが彼らを異常心理・異常行動に駆り立てるのです。

ところがこのような状態に陥ってしまっている彼らに“アガペーによる全面受容”との出会いが与えられるとき、彼らの心に満足感が訪れ、その満足感が彼らに引き続き持続して与えられ続けると、それが“充足感”となって彼らの心を満たすのです。その瞬間、彼らは彼らを駆り立て悩ませていた空虚感、無気力感から、更には不安や恐怖、焦りや苛立ち、そして劇悪な異常心理や異常行動から一時的に開放されるのです。勿論、この状態はいま記したように一時的なものであって、持続的恒常的安息に入るためには、なお継続的に注がれ続ける“アガペーによる全面受容”が必要なのです。

大分前にも記しましたように、彼らの要求するところは、彼らが今ではすっかり心病んでしまっているため、家族や周囲の人々にとって極めて受け入れ難い、いわゆる一般的には悪い要求と思われることが多いのです。ですから、彼らの要求や願望は、ほとんど受け入れられず退けられてしまいます。とりわけ世俗的価値観に強く支配されている両親や周囲の人々からすれば、その拒絶はむしろ当然のことであって、それを受容することなど断じてあり得ないことでもあるのです。ですから、その悪しき要求を受け入れることは、その心病んでいる子どもに迎合することで、極度の甘やかしとなり、時としては“共依存”になりかねないこととして拒絶されてしまうのです。ですから、その両者の関係はますます相対峙する関係となり、両者の関係は悪化するばかりです。その結果、悪しき要求をした心病む子どもは、以前にも増して不満足となり、充足することは決してあり得ないのです。そこには対話も絶え、憎しみと争いが激化するばかりです。ですが“アガペーによる全面受容”は、そうではないのです。そこに活路を拓き、荒野に道を切り開いて行くことが出来るのです。どうしてなのでしょう? (続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。

感謝、賞賛の言葉を豊かに注ぐ 自尊心の回復