愛による全面受容と心の癒しへの道(85)

峯野龍弘牧師

第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道

Ⅵ. アガペーによる全面受容とその軌跡(自立への7ステップ・法則)(前回に続く)

■アガペーによる全面受容の軌跡と癒しへの7ステップ(法則)
<ステップ4> 心のゆとりの造成

豊かなアガペーによる全面受容によって心の深みに安息を経験し始めたウルトラ良い子にとって、更に必要なのがこの「心のゆとりの造成」です。

既に先に述べたように「アガペーによる全面受容」によって充足を与えられ、一旦「充足感」を味わった彼らが、更に引き続き繰り返して「充足感」を味わい続けることによって、今度は充足に優る「安息」を体験するようになって行きます。この更に心の深みで体験した「安息感」こそ、彼らの心の癒しにとって必須の辿り着かなければならない境地です。この「安息感」は彼らが確実癒されつつあることの明白なバロメーターです。 しかし、ここで気を良くして安心し過ぎたり、手抜きをしてはなりません。むしろこれを喜び、感謝しつつ、より一層の「アガペーによる全面受容」に励むことが必要です。なぜならば、とてつもなく長い間悩み苦しみ傷ついて来た彼らの心の旅路からすれば、やっとやって来たこの喜ばしい「充足感」や「安息感」の体験と味わいは、ほんの短い期間に過ぎません。この体験と味わいが彼らの内にしっかりと定着し、彼らの心が安定し、逆戻りすることがないまでになるには、なお引き続きの「アガペーによる全面受容」の継続が不可欠です。ここで必要なスッテプが「心のゆとりの造成」と言うことです。すなわち、彼らの心に更に「安息感」を贈り届け続けることによって、「心のゆとり」を生み出し、造りだして行くことが必要なのです。「ゆとり」のない所には、わずかな悪しき刺激がやってくると、たちどころに動揺が起こり、緊張し、不安が呼び起こされて、パニック状態を起こし易いのです。ですから「充足感」から「安息感」にまで辿り着いた心傷つき長い間病んで来たウルトラ良い子のために、更に重ねて油断することなく「アガペーによる全面受容」を続けることによって、「ゆとりの造成」が必要なわけなのです。この状態をコンクリート敷設に例えてみるならば、ある時、所定の場所にコンクリートを流し込んだと致します。流し込まれたコンクリートは、徐々に乾き始めて固くなって行きますが、完全に乾き切り固まるまではその上を歩くことは出来ません。表面は外見上ではすっかり乾き切り固まったと思えても、しばしばまだ内部が固まっていない場合があるのです。そこでなお時間をかけ、水を撒いたりしながら「ゆとり」をもって時をかけるのです。しかし、それを待たずに性急にそのコンクリートに上り、歩こうものなら折角固まりつつあったコンクリートを損なってしまいます。ですから完全に乾き切るまでの「ゆとり」の時間が不可欠なのです。

そのように心傷つき病んでいたウルトラ良い子の癒しのためにも、「充足」から「安息」へ、しかも「深みの安息」の上になお安息状態が固まるための「ゆとりの造成」が必要なわけです。多くの両親やケアーに当たる人々が、しばしばこの時点で失敗してしまうことが多いようです。よくよくこの点に注意してほしいものです。あたかも飛行機が滑走路で充分な加速をつけて、遂に離陸し大空に飛び立って行くように、長い間心傷つき病んでいた彼らは「深みの安息」と言う燃料を充分積み込んで、いよいよ「ゆとりの造成」によって整備された長い滑走路を、徐々に加速しつつ「癒しの大空」へ飛び立って行くことが出来るのです。何という楽しみでしょう! (続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。

感謝、賞賛の言葉を豊かに注ぐ 自尊心の回復