愛による全面受容と心の癒しへの道(114)

峯野龍弘牧師

第7章 「ウルトラ良い子」を健全に育てるための「アガペー育児法」

Ⅲ、第2期 3歳から6歳までの幼児期後半の幼児教育(前回からの続き)

C、高潔な品性、人格の基盤となる気質の育
3 真実であること、聖いことの尊さを打ち込む(前回からの続き)

そこでこの「聖くあることの尊さ」についてなお幾何か大切なことを記して見ることに致しましょう。まことにくどいようではありますがウルトラ良い子たちは生まれながらにして、純粋なもの、本質的なものを慕い求める強い傾向性があると何度か申し上げてきましたが、この「聖さ」を求めることについての彼らの潜在願望は、これまた通常の子供に優るものがあります。そもそも「聖」という事柄は、倫理的・道徳的・人格的な「潔」や、より一般的な水で洗い清めるなどの「清」若しくは「浄」よりも、本来より宗教的・霊的な深い意味を持つ用語で、つまり神的な「聖さ」を意味しています。ウルトラ良い子は霊的志向性が強く豊かですから、この「聖なる次元」の世界への探求心も旺盛であると考えるべきです。しかし、昔も今もほとんど変わらずこの「聖なるもの」への育みと言うことに心を用いている人々は、極めて稀です。ましておや世俗的価値観に強く支配されている両親や人々の間においては、ほぼ皆無に等しいと言っても良いほど、この「聖」と言う極めて重要な人間のあり方について、殆どと言ってよいほど関心を抱いてはおりません。ですからウルトラ良い子が如何に生まれながらにこの「聖なるもの」への探求心を持っていようとも、この子供たちに「聖なるもの」を提供してあげることが出来ないまま、幼児期を経過してしまうのです。もし仮に何が善であり、何が悪であるかの善悪の見定めや、何が正しく、何が過ちであるかを分別する正しい判断力や正義感を身に着けることに成功しても、なおその上に「聖なるもの」「聖い心」を育成することに成功しなければ、「人形を作って魂を入れない」という諺があるように、真に正しさを全うすることが出来ません。

具体的な例を挙げれば、たとえ法律的に如何に合法的で犯罪とはならず、正しいことを行っていたとしても、もしもその心に悪意や野心を抱いていたとしたら、それは所詮偽善であって、法的には何一つ罪に定められることはありませんが、何と嫌らしく醜いことでしょう。そして世間では外目に正しければ、その心の中にどんな私心、野心、時には悪意さえ抱いていても、所詮人にそれが知られなければ、それなりにその人は立派に正しい人として評価されてしまいます。しかし、これでは決して真の意味での正しさとは言えません。真の意味での正しさが実現するのは、そこには必ず内心の「聖さ」が存在しなければなりません。「聖さ」とは、まさに内心の動機の純粋性を意味します。この内心の動機の純粋性を日本人は時に「良心」という言葉で言い表しますが、しかし「良心」と言うことは、人間各人の内に宿る「善意」とか「心の声」を意味しているので、各人の人間性に応じて個人差があることを免れ得ません。そこで個人差を越えて人間が純度の高い「聖さ」に与る唯一の道は、永遠不変の神の存在を仰ぎ見、神の聖き御心を追い求めることによってです。こうすることによって人間の各人の心の中に宿る生得の「良心」が、より聖化されるのです。ここにより純度の高い心の純粋性を確保することが出来るのです。これが先にも述べましたように霊的、宗教的なより深い意味を持った「聖さ」、つまり神的な「聖さ」という用語です。ですからこの「聖さ」を仰ぎ見るようにして、祈り心とでも言うべき敬虔さをもって人や物事に対処し、事柄を判断して生きるところに、「真の正しさ」が実現して行くわけです。ですから「聖さ」を追求しない「正しさ」は、「真の正しさ」ではなく、「真の正しさは、聖さなくしてあり得ず」と言うことが出来ましょう。ですから人間は、「正しさ」以上に「聖さ」を求めて生きて行くべきなのです。一般的世俗社会の生活基準の上限は「正しさ」止まりで、「聖さ」を追求するところまでには至っていないのです。しかし、ウルトラ良い子たちには、この「聖さ」を求める感性が豊かに宿っていること忘れてはなりません。そこでこの幼児期にいち早く「聖さ」の育成、促進に着手することが出来たならば、何と幸いなことでしょう。このような重要なことに気付き、心掛ける両親や教師に巡り合えたウルトラ良い子は幸せです。

願わくは、「真実」「聖さ」の育成の大切さを知った、ウルトラ良い子たちを幸せにする目覚めた両親たちでありたいものです。(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。