愛による全面受容と心の癒しへの道(120)

峯野龍弘牧師

第7章 「ウルトラ良い子」を健全に育てるための「アガペー育児法」

Ⅳ、第四期 思春期・青年前期(前回からの続き)

さて、概略ながらここに至るまで「アガペーによる育児法」もしくは「子女教育」について解説してきましたが、いよいよ「青年期の教育」についてこれまた概略して本書を結ぶことにしよう。

一口に「青年期」と言ってもそれを厳密に規定することは難しく、一般的に言ってそれは時代によっても、国家や民族の相違、文化、気候風土の違いなどによっても多少異なっています。著名な発達心理学のエリック・H・エリクソンは、15歳から25歳位までと言っています。更に別の研究者は、12歳から20歳までとも言っています。特に今日のような多様化した時代の中では、青年期の上限を高く考える動きもあります。

しかし、本来は児童期と成人期の中間に位置する「境界期」を青年期と呼び、一見肉体的には十分大人になっているように見えるのですが、なおも肉体的にも、わけても精神的に、社会的に成熟しなければならない部分を残しているのです。青年期の「青」は、もともと「青い」と言う意味で、まだ熟し切っていない果実のようで、なお熟することが必要であることを意味していたのです。ですからレヴィンと言う人は、これを子供と大人が同居している状態と言うことから「境界人」などと呼びました。ともあれ「青年期」は、児童期から成人期に至る「過渡期」なのです。

そこでこの時期の青年たちは、肉体的・身体的には急激な成長発達を遂げ、特に男子も女子も性的成熟においては著しい変化と発達を遂げています。そして前項の「青年前期」において既に述べたように、内省的傾向が深まり、それと同時に自我意識が旺盛となり、この「青年中期」や「青年後期」と呼ばれるような時期を迎えるとなお一層、そこには一人の人間としては未成熟な部分が多分に残っているため、特に外界と自分、そしてまた自分自身の中で自ら消化し、処理しなければならいはずの「自分の中に存在するもう一人の自分」(こうあらねばならないと願う良心的自分に対して、それに反することを願望しそれを成してしまう悪しき自分)に悩まされるようになるのがこの時期の顕著な特徴なのです。これは「自己処理」の未熟な青年期に直面する「真面目なジレンマ」なのです。ここであえて「真面目なジレンマ」と呼んだのは、大人になり世慣れして来るとこのような「ジレンマ」を真面目に受け止めず、その中に居直るようになってしまうからです。

そこでこのような「真面目なジレンマ」の結果、この時期には以下のような極度の悩みや問題を抱え込むようになります。

  • 不安・いら立ち・焦りなどから来る反抗心
  • これらの悩みや問題から逃避するための自己防衛的行為としてのゲーム三昧の日々、学習放棄、粗暴な行動や非行など
  • 肉体的成長に伴って大人の世界に踏み込もうとする性的欲求から来る隠れた悪い性行為や飲酒、喫煙、近年の傾向として麻薬摂取など
  • 特に内省的・内向的性質や傾向の強い人の中には、うつ病や統合失調などの精神疾患が起こる。
  • その他

こうした悩みや問題を抱えるようになるのは、大なり小なり青年期を迎えた多くの人々の経験するところですが、ウルトラ良い子系の青年たちにとっては、あらためてこの時期によくよく注意する必要があります。なぜなら言うまでもないことでありますが、一般青年においてさえこの大切な大人への移行期において大きなジレンマを経験するのであるとしたなら、なおさら生来の鋭敏な感性を持ったウルトラ良い子たちは、あらためてこの時期に前述のような悩ましい問題に遭遇する可能性が大であるわけです。

そこでかかることから彼らを守り、救出すると共に、これらを克服し、かつ彼らを勝利に導いて行くために、以下のような諸点に改めて留意していただく必要があるのです。

まず第一に、このような状態にある青年には、ウルトラ良い子であるとないとにかかわらず、基本的には「アガペーによる全面受容」の原則に基づいたケアーが、何よりも重要です。そうすることにより彼らの不安や苛立ちや反抗心を吸収し、鎮めることが出来るからです。そして彼らに安息と平安を取り戻させて、物事を冷静に受け止め易くすることに、大いに功を奏します。特に鬱状態や統合失調の症状を呈している場合などには、なおさらこのような対応が不可欠です。

第二に、彼らの意思や願望を極力尊重して、聞くに厚く、語るに薄くしながら和やかな対話を生み出すように努力することです。そうすることによって彼らの自己認識と自尊心を高め、自ら自身の存在の尊さ、つまり「尊厳性」をより深く認識することが出来るよう手助けするのです。こうすることは彼らを誇らせ、高ぶらせることではなく、むしろより謙遜になり、謙虚な生き方を身に着けさせることに役立つからです。真の自分の尊さが分かるとき、その尊さを滅却させるものが傲慢であることをも認識する様になるのです。これこそが真の「自我意識」の尊い確立であり、「アイデンティティ」の確立でなければなりません。そこでこれらの感覚を正しく身につけさせるのが、この時期の良き対話者・受容者の大切な役割とも言えましょう。

また第三に、この時期は自己の特性や適性、つまり個性の有意識的発見と啓発の時期でもあります。更にはそれが将来の夢と希望に繋がり、何よりも自己の使命感の発見に繋がるとき、ここで大きな癒しと彼らの大きな成長を遂げるに至るのです。この時こそ、青年期の大きな悩みや問題は、遂には彼らの大きな「人間成長の肥やし」となったと喜ぶことが出来るのです。

そこで第四には、彼らの癒しと成長の速度に合わせて、徐々に彼らが願望するところのものをよく見極めながら、積極的に有意義な課題への挑戦を試みさせるのです。ここでよくよく注意しなければならないことは、親の願望ではなく、あくまでも彼らの内から発信される願望を良く捉えて、その実現に向かって良き協力者、伴走者となって彼らを支援するというスタンスが大切です。その課題や取り組む内容は、各人各様で極めて個性的です。それが肉体的な訓練を伴うスポーツであろうと、絵画、音楽、その他の芸術であろうと、学問、宗教、科学であろうと一向にかまいません。要は何もせず内にこもらず、厭世的、逃避的にならず、前に向かって、あるいは上に向かって前進・向上して行くことを促進させることにあるのです。そのためには常に寄り添い、共に喜び、楽しむように心がけ、時には慰め、癒し、励ましつつ、何よりも彼らの努力や労をねぎらい、折に触れては称賛を惜しまないことです。

さて第五に、これらの途上で精神的、肉体的に病的症状を呈するようになった場合や、また性的、倫理的、法的、社会的などの異常心理・異常行動または違法行為などの危険性に気付いた時には、出来るだけ早い内に専門家に相談し、適切な指導や処置を講ずることが大切です。素人考えや処置は危険であり、禁物です。まあ何とかなる、その内によくなるだろうと言う安易な対応や処理は、是非とも避けていただきたいものです。

そうすることによってどれだけ多くの人々が、早く気づき、早く専門的治療や処置をしておけば、決してそうはならなかったはずの、取り返しの付かない悲劇を生み出してしまったか知れなかったからです。どうぞよくよくこの点にご注意下さい。(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。