愛による全面受容と心の癒しへの道(125)

峯野龍弘牧師

第10章結び

さて、遂に心傷つき病んでいる「ウルトラ良い子」の癒しのために共に学んでまいりました「愛(アガペー)による全面受容と心の癒しへの道」も、これをもって不十分ながら結ぶこととなりました。ケアーに当たるご両親やワーカーの読者の皆様にとって、少しでも役立つことが出来たとしたら幸いです。何よりも本書が心傷つき病んで苦悩してきた当該の「ウルトラ良い子」たちの癒しのために役立ったとしたら、これほど筆者にとって大きな喜びはありません。

そこで今終わるに当たってどうしても書き記しておきたい幾つかの重要事があります。その重要事について以下に順次、記して終わりたいと思います。

まず第一は、筆者は一介の宗教者、つまりキリスト教会の牧師であって、決して心理学者でも、ましておや精神医学者でもありません。しかもキリスト教会における神学者でもありません。ただ、半世紀以上の永きにわたって教会の牧会に当たり、とりわけ本書において書き記して来ましたような心傷つき病み、かつ苦悩する「ウルトラ良い子」とその家族たちの痛ましいほどの現実に直面し、ひたすら祈り、聖書の教える主イエス・キリストの愛による癒しの真理を深く掘り下げ、学んでくるその過程で実践してきた牧会カウンセリングと奉仕活動を通じて、多様かつ無数のクライアントの痛みと叫びを見聞きする中から習得してきた神からの「恵みの知恵」もしくは「体験的・実践的・臨床的真理」を、ここにまとめ上げてみたものでした。

第二に、ですから本書は、その基盤と本質を何と言っても聖書の全巻的教えの上に据え、とりわけ聖書全巻を貫いて流れる大河の流れのような神の愛(アガペー)に置いています。それゆえ本書において解き明かしてきた「アガペーによる全面受容の癒しの法則」は、当然ながら心理学的でもなく、もちろん医学的でもなく、あくまでも聖書的、つまりキリスト教的かつ霊的牧会ケアーの原理なのです。それを出来る限り宗教性や信仰という次元で論ぜず、普遍的一般的次元に置き換えて適用可能なものとして解説したものです。もとより真理は普遍だからです。

第三に、本書の冒頭の序言においても記しましたように、筆者はキリスト教の牧師になってからすでに54年になりますが、不思議な導きの許でその当初からこのような癒しのミニストリーに携わるようになり、今日までに実に多くの心傷つき、病み苦悩してきた多様なケースのクライアントと共に歩んでまいりました。そうした中で途上の多くの試行錯誤やまた数多くの失敗や敗北と思われる悲しい経験を繰り返しつつ、遂に辿り着いた普遍の癒しの真理、根本原理と言うべきものが、「アガペーによる全面受容の癒しの道」であったのです。しかもこの道は、単に「道」と言うよりも「愛の原理」であり、筆者はこれをあえて「法則」と呼ぶことにしたのでした。「法則」なのですから、これに従ってケアーに当たるならば、いつ、だれが、どこで行っても、洋の東西を問わず、人種の如何に関わらず、必ず例外なく癒しに辿り着くことが出来るわけです。筆者は、この貴重な体験と確信に過去の数多くの臨床例と実績を通して、行き着くことが出来たのでした。これは単なる特定の誰かに与えられた「個人的賜物」と言うべきものではなく、万民に与えられている「普遍的法則」と言っても過言ではありません。だから「アガペーによる全面受容のあるところには、必ず癒しが起こる」と声を大にして断言することをはばかりません。

第四に、ここで「癒し」と言うのは、いわゆる「医学的な癒し」を意味してはいません。ここで言う「癒し」とは、「心穏やかに愛のケアーの中で、麗しい人間関係を結びながら、尊い固有の人生を生き抜くことの出来る人間となること」を意味します。そこには生涯身に負わなければならないある種のハンデがあったとしても、それはその人の人間としての尊厳を何一つとして失せるものでは断じてないのです。むしろそのハンデがあることによって、にもかかわらず懸命に生き抜くその姿、その生き様にこそ、かえってその人の人生が輝くのですから。

第五に、この「癒しへの道程(みちのり)」は、当然のことながら個々人によって異なります。しかも、すでに何度も前述してきたように、ある人の場合はまさに奇跡と言えるほど速やかに癒しが実現する場合もあれば、しかしある人の場合は相当の長い年月を費やさなければならない事もあります。それはその癒しを必要としている人の病める度合いや、その身に負っている症状の性質の如何(いかん)によるのです。しかしながらたとえ後者の場合であったとしても、決していたずらに嘆いたり失望したりする必要は全くありません。そうです、すでに繰り返し学んできたように「癒しの螺旋階段」を確実に上っているのですから。しかもそこには他者には到底気付いてはもらえないかもしれない、当事者のみが味わうことの出来る「途上の慰めと喜び、そして希望」が与えられるからです。それは以前の最も厳しく、苦しかった時には経験することのできなかったものでした。それゆえ決して中途で挫折せず、なおも「癒しの螺旋階段」を上り続けたいものです。そうすれば遂には心傷つき病める者と共に、そのケアーに従事した両親や関係者も共々に、愛によって築かれた美しい人間関係の頂(いただき)を極めることが出来るのです。その間に流した涙も、担った労苦も、如何(いか)なる犠牲も、何一つ無駄になることはないのです。そこで筆者は、こう激励したいのです。
「真に美しく幸せな人間関係の頂(いただき)に立つために、『愛による癒しの螺旋階段』を上り続けよう!そこに真の癒しが待っている!」と。(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。